花の身上書
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幼い子供たちがまず最初に描く花はチューリップ。赤、白、黄色…と歌われる童謡は、日本人なら誰でも知っている。 しかし、チューリップの歴史は波瀾万丈であった。ユリ科に属するチューリップの原産地は、北緯40度線に沿った中国西南部からタシケント、イラン、トルコを経てスペインに至る各地で、およそ150種の小型の野生種が自生していた。紀元前4世紀にはすでにチューリップ模様の織物がみられ、また『新約聖書』における有名なキリストの言葉「野のユリ」はチューリップのことと考えられている。 チューリップの栽培が初めて行われたのはトルコで、12世紀のこと。トルコの王宮で愛でられ、16世紀にヨーロッパに伝わった。チューリップという名前も、花の形が似ているところから、トルコ語でターバンを意味する『ツリバム』が伝わったという。特にオランダのライデン植物園長、クルシウスが熱心に取り組み、熱狂的な人気を得て、オランダを象徴する花になった。 17世紀には、珍しい品種が投機の対象となり、球根1つが家1軒にも相当するほどの高値を呼び、『チューリップ狂時代』といわれる時期を作った。 わずか3年ほどでチューリップバブルは崩壊したが、この時期に品種改良が急速に進んだ。8000種にも及んだという品種は整理されていったが、それでもオランダ王立球根生産者協会に登録されている品種は5300種もあり、現在栽培されている品種だけでも1152種に及ぶという。 日本のチューリップの歴史は古くはなく、幕末に初めて球根がもたらされ、明治に入ってから球根の栽培が始まった。現在は新潟県、富山県を中心に生産され、また全国各地の学校や公園の花壇には、必ずといっていいほど植えられており、子供から大人までに親しまれる馴染みの深い花である。 |
| (資料提供:オランダ国際球根協会) |
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